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<<   作成日時 : 2009/06/29 22:46   >>

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この邦題はいまひとつでした。
英語のままThe Readerのほうが良かった気がします。
とても切ない映画です。

ケイト・ウインスレットがアカデミー賞を取った映画です。
15歳の少年マイケルと36歳の女性ハンナが恋におちるのですが、
ケイト演じるハンナが突然姿を消します。
ハンナはいつもマイケルに本を読んでもらうことを楽しみにしていました。

偶然の再会はナチス裁判の法廷見学に来た法学生となったマイケルが
被告人の中にハンナの姿を見つけたこと。
そこからマイケルの苦悩がはじまりますが、
最初はただ以前好きだった人が被告人席にいることの驚きだったはずが、
だんだんといろんな感情を含むようになり、
ハンナのある事情について気付いて苦悩します。
ハンナは文盲だったと。

行動を起こすこともできたであろうマイケルですが、
ハンナの気持ちを思いやり、それをしないマイケル。
そして無期懲役の判決を受けたハンナに
以前のように朗読したテープを送りつづけるマイケル。
贖罪の意味もこめられていたのでしょうか?
ハンナはマイケルのテープをもとに字の勉強をはじめ、
短い手紙をマイケルに書くようになります。
しかし返事をしないマイケル。
複雑な心境は大事に引き出しに手紙をしまい、
その引出しを乱暴に足でしめるところからも伺えます。

ハンナは職務に忠実ですが、深い思考がない女性に描かれています。
でも実際に字が書けない、読めないということが、
どういうことかがぴんとこないので
そのあたりでは共感しにくいものがあります。
一方マイケルは(ハンナと比べて)高い知性を身につけ、弁護士となっています。

ラスト近くのハンナの出所のあたりのマイケルとハンナのやりとりは、
完全にすれ違い、かみあうことがありません。
これは見ていて痛々しく、悲しい。
どちらにも肩入れはしなくとも辛いシーンです。
どちらの気持ちもわかるから。

以前のようにマイケルを求めるハンナの手はマイケルに受け入れられず、
マイケルは変わっていないハンナに変化を求め、今のハンナを受け入れられない。
それでも出所後の住居を準備し、仕事も探してハンナを迎えに行くと
ハンナは死を選んでいた。

これはハンナは変化していないのではなく、
全てを判っていたのだろうか?
わかっていたからこその、選択だったのだろうか。

マイケルが最後に訪ねる収容所にいたユダヤ人女性が
字さえ与えられなかったハンナの境遇とは対照的な、
リッチな暮らしをしていて、物悲しいものがありました。

ハンナへの許しを乞うマイケルに対しては
ピシリと許すことはできないという女性。
しかしハンナがお金を溜めていたブリキの缶を愛しそうに受け取ります。
マイケルもホッとしたことでしょう。

とても切ない、重い話でした。
最後のシーン、自分の娘にハンナとのことを語るのは
ちょっと受け入れにくかったです。

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内 容 ニックネーム/日時
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
とおりすがり
2009/07/10 10:48

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